❌ やり方が違うと思ったら、Φ全然違う。
✅ やり方が違うと思ったら、やはり/やっぱり、全然違う。
Because the meaning of this sentence is that what happened is just as the speaker anticipated,「やはり」is necessary.
⭐ 私の日本語は上手になったと言われたが、やはり頑張ることは必要だ。
✅ 私の日本語は上手になったと言われたが、今までどおり頑張ることは必要だ。
This sentence doesn't express this meaning「上手になったと言われたが、やはりまだそれほどでもない」.The speaker has also given his best and wishes to continue to do so, so「今までどおり」is more appropriate.
⭐
きのう、私は近くであった盆踊り大会を見に行きました。やはり、おもしろかったです。今、私は盆踊りのことがわかりました。
✅ きのう、私は近くであった盆踊り大会を見に行きました。期待したとおり、おもしろかったです。今、私は盆踊りのことがわかりました。
❌ 日本人が「かる」という言葉を使う場合は、やはり、何年か前にふるさとから「出て」来たということを示します。
✅ 日本人が「かる」という言葉を使う場合は、普通、何年か前にふるさとから「出て」来たということを示します。
⭐ 電車があまりに込んでいたため、その人はやはり電車の中へ駆け込むことができなかった。
✅ 電車があまりに込んでいたため、その人は結局電車の中へ駆け込むことができなかった。
❌ 試験日には、船筆や消しゴムを持って来てください。やはり、学生証も忘れないでください。
✅ 試験日には、船筆や消しゴムを持って来てください。それから、学生証も忘れないでください。
In the examples regarding「期待したとおり」「普通」「結局」, there are no verbs showing predictions/anticipation/expectations.「期待したとおり」「普通」both express objectivity, so those are more appropriate.「結局」expresses a state of things rather than objectivity.
In the last example, if we were to use「やはり」, the meaning would be something like this:「学生証は当然要るだろうと思っているだろうが、予想されるとおり必要である」. Because the exam is necessary, and because it shows enumeration (a list of things),「それから」is needed.
In the examples of misusing「やはり」thus far, problems arise because if a listener were to hear or read these, it would be confusing for them. The reason is because the sentences are 具体的 (concrete, objective, or declarative), but using やはり expresses is more subjective.「やはり」is best used when the speaker wants to express their opinion with some amount of flexibility with what they say (such as guessing or speculating).
❌
息子はコロンビで生まれました。この息子は親が話す日本語は理解できましたが、やはり自分が話す場合はスペイン語を使いました。
✅ 息子はコロンビで生まれました。この息子は親が話す日本語は理解できましたが、自分が話す場合はやはりスペイン語を使いました。
To be clearer, it's better to use「やはり」before「スペイン語を使いました」, as it goes directly before what it is modifying.
❌
援助は、カンボジアができないことは(援助)してもいいですが、やはりカンボジアが自分たちでできることであれば、援助しない方がよいと思います。
✅ 援助は、カンボジアができないことは(援助)してもいいですが、カンボジアが自分たちでできることであれば、やはり援助しない方がよいと思います。
Because this example is talking about whether or not to support, it's better to put「やはり」before「援助しない」.
⭐ 佐々木投手はきのう巨人戦でまた完封して、勝利投手になった。やはり、日本一の投手に間違いない。
✅ 佐々木投手はきのう巨人戦でまた完封して、勝利投手になった。やはり、彼は日本一の投手に間違いない。
Although the listen of the sentence would understand the meaning of the sentence, it's better to add「彼」for clarity, and it also makes the sentences flow better.
❌ 日本語を勉強するのは時間がかかりそうだ。やはり勉強しなければならない。
✅ 日本語を勉強するのは時間がかかりそうだ。でも、やはり勉強しなければならない。
❌ 初めは全部答えようと思っていました。やはりそれは少し無理だと分かってやめました。
✅ 初めは全部答えようと思っていました。でも、やはりそれは少し無理だと分かってやめました。
When one wants to continue the meaning of「にもかかわらず」, words like「だが」「でも」「しかし」are necessary to use with「やはり」.
❌ えっ、できなかったの。やっぱり難しいね。
✅ えっ、できなかったの。やっぱり難しいんだね。
❌ 彼は優秀性に選ばれました。やはり普段よく勉強していましたね。
✅ 彼は優秀性に選ばれました。やはり普段よく勉強していましたからね。
Because these examples show reason, it is necessary to not forget to use「のだ/んだ」「~からだ」.
❌ 彼は昨日、学校へ来なかった。やはり風邪だった。
✅ 彼は昨日、学校へ来なかった。やはり風邪だったようだ。
❌ 女の子とお母さんは毎日お父さんの写真を見ています。やっぱりお父さんがいなくてさびしいでしょう。
✅ 女の子とお母さんは毎日お父さんの写真を見ています。やっぱりお父さんがいなくてさびしいようです。
When talking about a person other than yourself in criticism or an evaluation of them, it's necessary to use「ようだ」.
Learners often try to use「やはり・やっぱり」partly because we use them often. When learners use「やはり・やっぱり」in place of「今まで通り、期待したとおり、普通、結局、それから」, the meaning becomes unclear, ambiguous. In speech, especially, using「やはり・やっぱり」when the sentences are concrete may be understand, but when read, it is hard to follow the meaning.