⭐ わかりました。あなたの頼みとあれば、どんなに大変でも早く実現したい。
✅ わかりました。あなたの頼みとあれば、どんなに大変でも早く実現させたいと思います。
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今日の私のテーマは貯蓄についてです。日本人の貯蓄についてだけではなく、他の国の皆さんの貯蓄、そして投資についてもお考えを聞きたいです。
✅ 今日の私のテーマは貯蓄についてです。日本人の貯蓄についてだけではなく、他の国の皆さんの貯蓄、そして投資についてもお考えを聞きたいと思います。
When you want to tell a wish/desire/hope to someone,「たい+と思う」is used. If you are just thinking a thought or talking to yourself, then using「たい」is fine. But when you want to tell this to someone else, the added「と思う」let's you convey this information.
⭐ 私はたばこを吸ったことがあります。しかし一度だけ吸って、もう吸うまい。
✅ 私はたばこを吸ったことがあります。しかし一度だけ吸って、もう吸うまいと思いました。
This is the same as the previous examples, although this uses the strong negative form of「たい」rather than「まい」. Added「と思いました」makes it more polite for use in conversation because「まい」is such a strong form.
❌本人はいつも正しく答えると思っているつもりらしい。
✅ 本人はいつも正しく答えているつもりらしい。
Either「つもり」or「思っている」can be used, but not both at once.
❌あしたは雨でしょうと思います。
✅ あしたは雨だろうと思います。
❌私はだんだん日本語が話せるようになりましたけど、まだ日本人の友達がいません。どうしてでしょうかと思っています。
✅ 私はだんだん日本語が話せるようになりましたけど、まだ日本人の友達がいません。**どうしてだろう(か)**と思っています。
⭐ 多くの人は、中国はとても厳しくて自由のない国と思っているようですが、実は全く間違っています。
✅ 多くの人は、中国はとても厳しくて自由のない国だと思っているようですが、実は全く間違っています。
❌私はこの映画を見た後で、もし、世界に戦争がなかったらいいわねと思いました。
✅ 私はこの映画を見た後で、もし、世界に戦争がなかったら**いい(のに)**と思いました。
Before「と思う」needs to be「普通型」or the dictionary form—in other words, the non-polite form.「でしょう」needs to be「だろう」and「だ」needs to come before「と思う」.
Because「わね」is a「終助詞」, it cannot be used before「と思う」.
❌遊びの空間が不足している韓国とか日本の青少年たちには、ストレス解消をしたり、新しい友だちと付き合うことができる場所じゃないか思います。
✅ 遊びの空間が不足している韓国とか日本の青少年たちには、ストレス解消をしたり、新しい友だちと付き合うことができる場所じゃないかと思います。
「か」does not replace「と」. Both need to be used.
❌あの人はいつも自分がほかの人よりえらいと思う。
✅ あの人はいつも自分がほかの人よりえらいと思っている。
The incorrect sentence shows the speaker using「と思う」to express someone else's
thoughts.
①彼は失敗すると思う。
②彼は失敗すると思っている。
① The speaker does the thinking「と思う」.
② 「彼」does the thinking「と思っている」.
A:韓国の部屋と、日本の部屋の部分と比べて何か違うところってありますか。
⭐ B:韓国の部屋はオンドルだから、日本の部屋より温かいと思っています。
✅ B:韓国の部屋はオンドルだから、日本の部屋より温かいと思います。
⭐ T先生の家庭生活について聞いたけど、やっぱり日本人らしくないと思っています。
✅ T先生の家庭生活について聞いたけど、やっぱり日本人らしくないと思います。
In these two examples, the sentences aren't grammatically incorrect, but「と思っている」has the meaning of "thinking about something over fixed interval/period, the speaker strongly has a point of view or obsession/fixation about it." The tables below show the difference between「と思う」and「と思っている」.
①意志・願望
(よ)う/たい+と思う | (よ)う/たい+と思っている | |
---|---|---|
私 | ◯ | ◯ |
第三者 | X | ◯ |
②判断・断定
意見・考え+と思う | 意見・考え+と思っている | |
---|---|---|
私 | ◯ | △(主張・こだわり) |
第三者 | X | ◯(一定期間思考を継続、客観的描写) |
① Both 「と思う」and「と思っている」can be used with「私」without much of a change in meaning. On the other hand, like in ② with opinions, thoughts, and criticisms:「人生は楽しいと思う」can also use「と思っている」, but using「と思っている」expresses the speaker's strong feelings about it.
To think about English comparisons, think about it like this:
と思う=I think that person may be a crook.
と思っている=I think that person is a crook and should go to jail.
While both sentences use "think," in Japanese we have a way to differentiate a simple thought versus
an strongly opinionated one with「と思う」and「と思っている」.
Going back to the original examples that used「と思っています」, the sentences give a strong, forceful impression and seem worded too strongly for what the speakers want to say. Therefore,「と思う」is more appropriate, although「と思っている」is possible to say. It's a matter of how the speaker wants to be heard.
Lastly, when you want to express a sentence about someone else's opinions, hopes, or criticisms, then「と思う」cannot be used.
A:日本語はどうですか。やさしいですか。
⭐ B:ええ、日本語は難しいと思いません。
✅ B:ええ、日本語は難しくないと思います。
While「やさいい/難しくないと思います」is possible to say, saying「難しいと思いません」in response to this
question doesn't sound natural. See how「~と(は)思わない」can be used in comparison:
③A:日本語はどうですか。
B:そんなに難しくないと思います。
④A:日本語はどうですか。難しいでしょう。大丈夫ですか。
B:いいえ、日本語は、なたが言われるように難しいとは思いません。むしろやさしいですよ。
③ expresses a B's thought to A. ④ expresses B's refusal of A's thought of 「日本語は難しいはずだ」. Therefore,「~と(は)思いません」is more suitable.
❌同じ教育制度下にいる香港の学生と日本の学生の学生生活は、にていると思うか。いろいろなところが似ているが、違うところもあると思う。
✅ 同じ教育制度下にいる香港の学生と日本の学生の学生生活は、にているだろうか。いろいろなところが似ているが、違うところもあると思う。
❌今のような日本を作った事実を見て、不思議なことだと思いますか。
✅ 今のような日本を作った事実を見て、不思議なことだと思いませんか。
「思いませんか」is used to ask for the listener's agreement. This differs from just asking a question about what the listener thinks.
⑤環境汚染が進んでいると思いませんか。Don't you think that~
⑥環境汚染が進んでいると思いますか? Do you think that~
To ask about the listener's opinion on the subject that isn't a simple yes/no
or agree/disagree statement:
⑦環境汚染についてどう{◯思いますか/X思いませんか}。
❌三番目は、十分な栄養を補給することです。しかし、夜遅く食べると、体をこわすと思いますから、夜食は食べないほうが良いと思います。
✅ 三番目は、十分な栄養を補給することです。しかし、夜遅く食べると、体をこわすことがありますから、夜食は食べないほうが良いと思います。
「体をこわすんじゃないかと思います」is a good substitution, but, rather than using the too-direct「こわすと思う」, it's better to use the more appropriate, euphemistic「そういうこともある」, which softens statement a bit.
❌私の意見では、日本人は歴史の勉強をしていないと思います。
✅ 私は、日本人は歴史の勉強をしていないと思います。
In Japanese,「私は」is only needed. This set phrase already expresses 「意見では」.
❌私は、日本は中東へ軍隊を送るべきではないという考えを持っている。
✅ 私は、日本は中東へ軍隊を送るべきではないと思う。
Like the previous example, this is another example of redundancy.「と思う」already expresses the idea of「という考えを持っている」.
❌その時、一番うれしかったのはたぶん子供たちそうです。
✅ その時、一番うれしかったのはたぶん子供たちだと思います/子供たちでしょう。
Attaching「そう」to a noun is simply a grammatical error. Using「と思う」or「でしょう」is appropriate.
「と思う」can express many different feelings, and it's good for beginners to use, but mistakes often occur.