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~という~

「という」の脱落

⭐ 弟は会計系で、エマーソン電気会社に務めています。
✅ 弟は会計系で、エマーソンという電気会社に務めています。

「XというY」is used when the listener probably doesn't know what Y is. Because it's likely the listener doesn't know, using「という」is necessary here.

⭐ コンピュータが間違えた場合には、いくら人間が改正させようと努力しても、コンピュータは人間の気持ちをわかってくれない。たとえば、私の兄の友達に、コンピュータに負けたグレグさんがいる。
✅ コンピュータが間違えた場合には、いくら人間が改正させようと努力しても、コンピュータは人間の気持ちをわかってくれない。たとえば、私の兄の友達に、コンピュータに負けたグレグさんという人がいる。

Like the last example, the listener (or reader) probably doesn't know who「グレグさん」is, and because the name comes up abruptly in the sentence, it's better to use「という」.

❌ タイは民主主義に政治体制を変える前に、(タイの昔の政府が)白象で描かれた国旗を使用していたが、1930年にさかさまに旗を揚げ、白象の足を空に向けた事件があった。
✅ タイは民主主義に政治体制を変える前に、(タイの昔の政府が)白象で描かれた国旗を使用していたが、1930年にさかさまに旗を揚げ、白象の足を空に向けたという事件があった。

❌ ベルギーに来た人々がフランス語を聞いて、フランスにいるように思ったと話もある。
✅ ベルギーに来た人々がフランス語を聞いて、フランスにいるように思ったという話もある。

❌ そのときから、日本へ行って、化学を専攻し、日本語も勉強する希望を持ち始めました。
✅ そのときから、日本へ行って、化学を専攻し、日本語も勉強するという希望を持ち始めました。

In these last three examples, the Y in「XというY」are「事件、話、希望」. The contents aren't known to the speaker, so「という」is absolutely necessary.

❌ バスの切符を値上げすると客が少なくなる。乗客が少なくなったら、また値上げのはどういうわけだろう。
✅ バスの切符を値上げすると客が少なくなる。乗客が少なくなったら、また値上げというのはどういうわけ/ことだろう。

「というのは」is necessary to make「値上げ」the topic.

❌ 私たちのチームは負けたが、完敗ほどではない
✅ 私たちのチームは負けたが、完敗というほどではない

「ほど」and「という」are often used together in the expression「~というほどではない」.

「ということだ」の脱落

❌ 駅での通りの悪い点は、フロアーが硬ければ硬いほど痛い
✅ 駅での通りの悪い点は、フロアーが硬ければ硬いほど痛いということである

❌ 「灯がついた」では、灯が結果としてついたということになる。「灯をつけた」では、「灯」がだれか、あるいは何かによってつかれた
✅ 「灯がついた」では、灯が結果としてついたということになる。「灯をつけた」では、「灯」がだれか、あるいは何かによってつけられたということだ

It's common to forget「ということだ」in the construction「Nは~ということだ」. When「ということだ」is added, the speaker either summarizes, defines, or explains N. Learners have a tendency to end the sentence with a verb or an adjective.

付加

⭐ 私はトヨタという会社で働いています。
✅ 私はトヨタで働いています。

Unlike some of the previous examples that didn't use「という」, this is an exception because the company「トヨタ」is known among everyone. Typically「という」is not necessary when talking about something commonly known to everyone. Either one is fine to say.

❌ おなかが空くと、食べたいという食欲が出てくる。
✅ おなかが空くと、食欲が出てくる。

Using「食べたい」with「食欲」is redundant and therefore unnecessary.

❌ 日本の経営管理は世界で一番という発達しています。
✅ 日本の経営管理は世界で一番発達しています。

The speaker may have wanted to say「一番というように」「一番というぐらい」, but「という」isn't necessary.

❌ 私の希望の仕事は、タイの外務省の日本語の翻訳者・通訳者ということです。
✅ 私の希望の仕事は、タイの外務省の日本語の翻訳・通訳です。

This example doesn't define or summarize anything, so「という」is incorrect. The relationship between the two clauses is「希望の仕事=翻訳(者)/通訳(者)」.

誤形成

❌ ジュラシックパークというの映画では、こはくに封じ込められた蚊から恐竜のDNAを抽出したそうです。
✅ ジュラシックパークという映画では、こはくに封じ込められた蚊から恐竜のDNAを抽出したそうです。

This is an mistake that Chinese speakers typically make, but others sometimes do it as well. They think that in order to modify the noun that「の」needs to used. In Chinese, this is「的」, and in English a relative pronoun that learners probably think about when making this type of error. It could also possibly be that「の」is learned and used much earlier in one's Japanese learning.

位置

❌ お寺には、六人住んでいました。村山さんをはじめ、山田さんという年をとった体が弱いお坊さん、おじいさんという山田さんの親戚、料理を作ってくれたおばあさん、弟子として修行をしていた若者が三人いました。
✅ お寺には、六人住んでいました。村山さんをはじめ、山田さんという年をとった体が弱いお坊さん、山田さん親戚というおじいさん、料理を作ってくれたおばあさん、弟子として修行をしていた若者が三人いました。

This type of mistake come about from learners whose native language has a different order (for the translation of XというY), and they try to think about the order in their own language when writing long passages.

との→という

❌ しかし、わたしに一番強い印象を与えたことは、日本人がお互いよく譲り合うとのことです。
✅ しかし、わたしに一番強い印象を与えたことは、日本人がお互いよく譲り合うということです。

「との」is often interchangeable with「という」, but not in this case. It is used in cases of statements of others or to tell thoughts.
例:山田さんが(あなたに)よろしく{◯との/?という}ことでsた。

のような→という

❌ 子供の頃から私には弁護士になるのような目的がありました。
✅ 子供の頃から私には弁護士になるという目的がありました。

「というような」is possible to say, but it is a vague way to speak.「という」is probably preferable.

Points to Note

「XというY」is used when the listener may not know what Y is.
「という」is not necessary for popular things such as「トヨタ」「ソニー」「ホンダ」among others.


Learners often use「の」「こと」「と」when they should be using「という」. Be careful.
内容を表す「XというY」では「というを付けるか付けないかに一定のきまりがある。

Summary:

①「意見、うわさ、考え、訴え、命令」など発話や思考を表す名詞の内容を名詞修飾節が表す場合には「という」が必要である。
②「仕事、経験、事件、事故、特徴、性格」などの名詞が被修飾名詞になる場合は「という」が省略できある。
③「音、味、におい、痛み、写真、絵」など感覚や知覚の内容を名詞修飾節が表す場合には「という」は使えない。