❌ あと六ヶ月東京芸術大学に入ります。
✅ 六ヶ月してから/したら、東京芸術大学に入ります。
Learners often say this incorrectly. Although we can understand that "six months later" = 「あと6ヶ月」, in Japanese we say in like this「(あと)6ヶ月してから/したら」. If we were to use「あと」, then the clause would be「6ヶ月あとで」, although using「してから/したら」sounds more natural.
❌ 私は日本語の勉強はもう二年になった。
✅ 私が日本語の勉強を始めてから、もう二年になった。
This one isn't necessarily incorrect but sounds awkward. There needs to be some indicator of "when"「始めてから」to sound better.
❌ 日本に来たから、1年なります。
✅ 日本に来て(から)、1年なります。
❌ 日本は戦争したから、四十年の時間だけある。
✅ 日本は戦争してから、(ちょうど)四十年の時間だけある。
This mistake also appears frequently among learners.
❌ 目撃者はぴんの底みたいなめがねをしてから、犯人の背格好しか見えなかった。
✅ 目撃者はぴんの底みたいなめがねをかけていたから、犯人の背格好しか見えなかった。
Be careful of confusing 理由の「から」with「てから」. I can't say for sure, but learners may confuse these two because they both have the same sound of「から」.
⭐ ニューヨークで生まれてから住んでいました。
✅ ニューヨークで生まれて、ずっとそこに住んでいました。/生まれた時からニューヨクに住んでいました。
⭐ パーティーが終えてから、彼女も帰りました。
✅ パーティーが終わって、彼女も帰りました。
⭐ また、夜、さらに釣りにも行きました。そして、とれた魚などを煮たり焼いてから食べました。
✅ また、夜、さらに釣りにも行きました。そして、とれた魚などを煮たり焼いたりして食べました。
⭐ 村山さんにお目にかかってから、本当に非凡な人であることにすぐ気が付きました。
✅ 村山さんにお目にかかって、本当に非凡な人であることにすぐ気が付きました。
As you can say, all of these examples involve the confusion of the 継起「て」. Using
simple Japanese,「て」and「てから」differ in the follow way:
て:一つの動作・行為が終わって、また終わらないうちに、引き続いて次の動作・行為が起こる時に使う。
てから:二つの動作・行為間にはっきりとした前後関係が存在し、その関係をはっきり示したい時に使う。
「てから」=「あと」「それ以前ではない」=what happens in the first clause has finished. For example,「日本へ来てから日本語の勉強を始めた」means that「日本へ来たこと」and「日本語の勉強を始めた」has a relation involving the time these two actions take place. Putting them together in a very long manner, it would become「日本語の勉強を始めたのは、日本へ来る前ではない、日本へ来てはじめて日本語の勉強を始めた」.
It's hard to imagine sentences that, generally, before the first clause happens, the second clause happens (ニューヨークに住んでいたのは生まれる前かあとか、魚を食べたのは煮たり焼いたりする前かあとか、など). Simply using「て」to connect events in a series is sufficient (and easier) to understand.
In the second example in this section, if you boldly use「てから」you emphasize the meaning「前件の事柄・行為が終わってからだ」. Thus,「彼女が帰ったのはパーティーが終わるかあとか」would sound unnatural.
⭐ いつも授業が終わってから、先生は私に宿題をくださいました。
✅ いつも授業が終わると、先生は私に宿題をくださいました。
Because this sentence uses「いつも」、「と」is more appropriate.
⭐ 彼女はテストが終わってから、何も言わず、教室を出た。
✅ 彼女はテストが終わると、何も言わず、教室を出た。
The context of these sentences isn't about what happens "before or after," but rather on what happened as a result of the previous incident, so「と」is more appropriate. In other words, instead of a series of events based on time, it is more cause-and-effect.
⭐ ご飯を食べてから、自分で片付けてください。
✅ ご飯を食べたら、自分で片付けてください。
Like the previous section's sentences, this example does not express「片付けをするのは、食事が終わる前かあとか」, but rather 「食事が終わること」is the clause that needs to happen first, before the second clause can happen. Therefore,「たら」is more natural
❌ 学習者が日本語の動詞の語幹を識別できるようになってから、テ形の作り方が簡単になると思う。
✅ 学習者が日本語の動詞の語幹を識別できるようになったら、テ形の作り方が簡単になると思う。
There is also confusion among「と」and「たら」with「てから」, especially because the
way「たら」is written and how it connects to the word before it is similar to「てから」. As shown in the sentence
below、「たら」also has the meaning of「あとで」, so it is easy to confuse this term with「てから」.
①授業が終わったら、事務所へ来てください。
②授業が終わってから、事務所へ来てください。
⭐ けれども大学を卒業してから、なかなか仕事を持つことが出来ません。
✅ けれども大学を卒業しても、なかなか仕事を持つことが出来ません。
Because of the speaker's intended meaning, and from the context of the
sentence,「ても」is more appropriate.
意味的には「大学卒業後、仕事がない」ということであるが、「大学を卒業した→普通は仕事があるものだ→しかし、実際は見つからない」という流れがあって、そこに話し手の逆説的な気持ちが含まれると、「ても」や「のに」の使用が必要になってくる。
⭐ 今までの都市建設は、建物を立てた以後具体的な計画を立てるので、都市の構造は無秩序になってきました。
✅ 今までの都市建設は、建物を建ててから具体的な計画を立てるので、都市の構造は無秩序になってきました。
「計画を立てるのは、建物を建てる前であるべきなのに、実際は建てたあとだ」has the order that focuses on a specific time, and in a case like this, using「てから」to emphasize this meaning is more appropriate.
Be sure to use「てから」with the proper verb (which will end in て). Many learners still forget this.