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子供のころ、父は毎晩ご飯を食べたあとでいつも会社の経営管理のことを話題にしました。しかし、そのときは父の話は全然分かりませんでしたが、大きくなるにつれて、この仕事に興味を持ち始めました。
✅ 子供のころ、父は毎晩ご飯を食べたあとでいつも会社の経営管理のことを話題にしました。そのときは父の話は全然分かりませんでしたが、大きくなるにつれて、この仕事に興味を持ち始めました。
Because this example uses the adversative conjunction「が」(逆接)later in the sentence, it is redundant to also use「しかし」.
⭐ あの人、外国人ですか。しかし、日本語が上手ですね。
✅ あの人、外国人ですか。それにしては、日本語が上手ですね。
Japanese native speakers may often say something like this example.「しかし」isn't incorrect, but it has a slight different nuance. When using「それにしては」, the speaker's thoughts, judgment/anticipation (until this point) are inconsistent with what the speaker just saw or heard. It has the nuance of「その割には(思っていた割には)そうではない). Think of the translation to something like "contrary to that," or "considering that (what I have just learned)."
⭐ ベッドに横になていた。たぶん寝るとよくなるだろうと思っていた。しかし、考えていたのと違って、もっと痛くなってきた。
✅ ベッドに横になていた。たぶん寝るとよくなるだろうと思っていた。ところが、考えていたのと違って、もっと痛くなってきた。
「しかし」here isn't incorrect either. 「ところが」expresses 意外性, or not knowing what will happen, so「ところが」is a better choice. The speaker thought that sleeping would make their pain better, but surprisingly it make it worse.「しかし」doesn't include the meaning of surprising on something unexpected.
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私はそのときもう一度驚きました。私の国では仕事がなくて人々を雇えないのですが、経済大国では、仕事があって、しかし仕事をせずに浮浪者になる人がいるのは、本当に不思議です。
✅ 私はそのときもう一度驚きました。私の国では仕事がなくて人々を雇えないのですが、経済大国では、仕事があっても仕事をせずに浮浪者になる人がいるのは、本当に不思議です。
I can't say that this is incorrect either, but because there is some emotion expressed in this example, it's better to use「ても」.「しかし」is more objective.
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これを読んでいらっしゃる先生もご存知のように、私がこのごろ一番やるスポーツは卓球です。それが卓球が一番好きだとは言えません。
✅ これを読んでいらっしゃる先生もご存知のように、私がこのごろ一番やるスポーツは卓球です。しかし/でも、それで卓球が一番好きだとは言えません。
In this example you can see that「それが」was used, which is used to express
逆接や言い訳.
例:今週には借金はすべて返済するつもりでした。それが、株の暴落を財産を全部なくなってしまいました。In this example, this「それが」is not usually found in dictionaries
as a single word. It seems that this learner did not understand this kind of「それが」that is often used by Japanese
native speakers, which is used to explain a situation in a reserved way.「しかし」or「でも」is better here.
❌ つまり、携帯は廃城に便利な科学施術の製品だ。しかし、そのため、問題も出てきた。
✅ つまり、携帯は廃城に便利な科学施術の製品だ。しかし、その一方で、問題も出てきた。
The writer of this sentence may have used「そのため」to mean「便利であるがために」, but in Japanese, it is more natural to start the second sentence with「しかし」and then use「その一方で」so that the sentence flows more naturally.「その一方で」is used to mean「対比的(対照的)」(on the contrary; on the other hand).
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大人になってから、テレビに夢中になることは少なくなった。それにもかかわらず、大学時代には続けて何週間も部屋でテレビを見てばかりということもあったから、大学の成績はすばらしいとは言えなかった。
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大人になってから、(私が)テレビに夢中になることは少なくなった。しかし、一方で、大学時代には続けて何週間も部屋でテレビを見てばかりということもあったから、大学の成績はすばらしいとは言えなかった。
Like the previous example, this one is also contrasts the first sentence with the second.
❌ 田中さんが日光に行く。しかし、山田さんが行かないそうだ。
✅ 田中さんは日光に行く。しかし、山田さんは行かないそうだ。
❌ きのう、友達と約束した。しかし、彼が来なかった。
✅ きのう、友達と約束した。しかし、彼は来なかった。
The particles of both sentences need to be parallel when using「しかし」,
as「は」and「しかし」are both used to contrast something..
前文(~は~)。しかし、(~は~)。
❌ 図書館へ行ったつもりです。しかし、郵便局に行きました。
✅ 図書館へ行くつもりでした。しかし、間違って郵便局に行きました。
There needs to be a 説明句 in this sentence. It doesn't quite feel right without having「間違って」behind「しかし」. Without it, 「行ってしまいました」could also be used to help make the writer's intent clear.
⭐ 旅行しようと思っていた。しかし、突然友達が来たから行けなかった。
✅ 旅行しようと思っていた。しかし、突然友達が来たから行けなくなった。
This isn't really a mistake but the meaning is a bit different. If you use「しかし」to indicate that the expectation of the trip has been ruined, it would be more appropriate to express the outcome of the situation by saying「行けなくなった」or「行けなくなってしまった」 rather than simply reporting the situation.
「しかし」is very often used as an adversative conjunction, but it is also used as a non-adversative conjunction (but, however, etc.).