⭐ 私は広告写真について非常に興味がある人です。
✅ 私は広告写真について非常に興味がある人です。
This isn't technically incorrect, but it sounds like something a young Japanese native would say. Whenever you are talking about yourself, using「~する人」to describe yourself sounds rather child-like and out of place.
❌ 隣の人が、大きく音でずっとラジオを聞いていたので、すぐに寝られなかった。
✅ 隣の人が、大きい音でずっとラジオを聞いていたので、すぐに寝られなかった。
❌ 人生の中で一番大切なのは、健康の体であると思う。
✅ 人生の中で一番大切なのは、健康な体であると思う。
❌ 日本人といっても納豆がきらい人もある。
✅ 日本人といっても納豆が嫌いな人もいる。
❌ 同じの教育制度下にいる香港の学生と日本の学生の学生生活は、似ているだろうか。
✅ 同じ教育制度下にいる香港の学生と日本の学生の学生生活は、似ているだろうか。
「同じ+名詞」does not need「の」.
⭐ きのう来ました人は小川さんです。
✅ きのう来た人は小川さんです。
Although not incorrect, it is overly polite. Talking like this should only be
used in overly polite situations. For example, the following sentence is also possible:
例:ただいまご紹介をいただきました山田です。インドから参りましたビンディです。
In everyday speech, using「普通形」is better. If we were to use 丁寧形 in the above
example, however, we could say it like this:
きのういらっしゃいました方は小川さんです。
❌ 東京へ行ったの友達は小林さんです。
✅ 東京へ行った友達は小林さんです。
❌ きのう新しいの辞書を買いました。
✅ きのう新しい辞書を買いました。
❌ 「グラストー」という祭りは、世界の一番田舎で公園芸術の祭りである。
✅ 「グラストー」という祭りは、世界の一番田舎でさまざまな芸術が公演される祭りである。
Up until「公園」in the learner's sentence, it is hard to understand what the next verb will be referring to (which noun)?
❌
英語がわからないようなウェイトレスは、私ほ注文を聞いてから、わかったようなわからないような顔をして、「はい、はい。」と答えました。
✅ ウェイトレスは英語がわからないようで/らしく、私ほ注文を聞いてから、わかったようなわからないような顔をして、「はい、はい。」と答えました。
Using「わからないような」connected to a noun makes it hard to understand the sentence's meaning. It's better to write it as two separate sentences combined.
❌ コンピュータの時代が来ると、多い人がオタクになるという心配がある。
✅ コンピュータの時代が来ると、多くの人がオタクになるという心配がある。
When modifying an noun, it is always「多くのN」. Similarly,「近い」will also be「近くのN」.
❌
日本の場合、宗教の影響は文化だけにあると思う。しかも昔から来た文化にである。実際に明治時代以前には、日本でにおける宗教は重要だった。
✅ 日本の場合、宗教の影響は文化だけにあると思う。しかも昔からの文化にである。実際に明治時代以前には、日本では/においては宗教は重要だった。
❌ 病気が早く治るように、栄養の植物をたっぷり食べさせたい。
✅ 病気が早く治るように、栄養のある植物をたっぷり食べさせたい。
❌ 相手は、クリスタルは名字ではなく、私が覚醒剤をよく使うからのニックネームだと思っていました。
✅ 相手は、クリスタルは名字ではなく、私が覚醒剤をよく使うから付いたニックネームだと思っていました。
⭐ その時、一番うれしい人はたぶん子供たちだと思います/子供たちでしょう。
✅ その時、一番うれしかったのはたぶん子供たちだと思います/子供たちでしょう。
Although this isn't technically incorrect, it redundantly uses both「人」and「子供」.
⭐ 小雨に降られた額は、いつもくすぐったく感じるとともに、心まで洗われるように感じます。
✅ 小雨が額にかかると、いつもくすぐったく感じるとともに、心まで洗われるように感じます。
Although not grammatically wrong, it feel like it was translated from another language. Because the topic is the the person's face, it's hard to understand why the face is the cause/reason for the latter part of the sentence.
❌ これは大学のフィリピンにあります。
✅ そういうことはフィリピンの大学にもあります/見られます。
❌ 日本のたばこを吸わない人も自分の声を出して/あげて、公共の場所での禁煙を法律化するように頑張るべきだと思う。
✅ たばこを吸わない日本人も声を出して/あげて、公共の場所での禁煙を法律化するように頑張るべきだと思う。
The modified clauses are reversed in the learners' examples. Beginners tend to make mistakes like these. In the second example, this Japanese learner wanted to write about Japanese people smoking, but writing「日本のたばこ」means Japanese tobacco changes the meaning completely. This kind of mistake may be from the learner's native language. In Japanese, we have a word for Japanese people, rather than using Japan/Japanese as an adjective, like in English.
❌ これは李さんのきのう秋葉原で買った本です。
✅ これは李さんがきのう秋葉原で買った本です。
Because「きのう」and「秋葉原」are between the words「李さん」and「買った本」, using「の」makes it hard to understand exactly what「の」is modifying. Therefore, marking the subject with「が」is appropriate.
❌ 今朝この本棚に置いてある辞書がもうなくなってしまった。
✅ 今朝この本棚に置いてあった辞書がもうなくなってしまった。
Because this sentence starts with「今朝」、「であった」is more appropriate.
❌ おもしろかったテーマでした。
✅ おもしろいテーマでした。
❌ 教会へ行ったついでに、入院していた友達の見舞いに行ってきた。
✅ 教会へ行ったついでに、入院している友達の見舞いに行ってきた。
Because the main clause in each of the two examples is already in the
past,「おもしろい」and「入院している」do not need to be in the past as well.
In the case of「入院している」, because the person being visited is still in the hospital, that is why「している」is used.
❌
そのうえに、植民時代(1803~1870)にもうけられてオーストラリアで二番目に古い街で、美しい伝統的な建物が多い。
✅ そして、植民時代(1803~1870)に作られたオーストラリアで二番目に古い街で、(そこには)美しい伝統的な建物が多い。
This example is similar to a previous one involving「わからないよう」above, although the error is reversed.
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センギギ海岸とクター海岸は有名な海岸である。全国から旅行者はロンボクへ行けば、その場合を覚えておいた方がいいと思う。
✅ センギギ海岸とクター海岸は有名な海岸である。全国からロンボクへ行く旅行者は、その場合を覚えておいた方がいいと思う。
This sentence is better written using a noun clause.
Learners often make mistakes such as「田中さんが買ったのカメラ」「これは読まないの本」