❌ 私はお酒が好きですが、結局ビールしか飲まないです。
✅ 私はお酒が好きですが、ビールしか飲まないです。
「結局」is used when describing a conclusion. In this example, the speaker is not trying to describe a conclusion, so「結局」is not needed.
❌ 先生に何回も説明していただいたので、結局だいたい分かるようになった。
✅ 先生に何回も説明していただいたので、最後にはだいたい分かるようになった。
❌ きのうたくさん勉強しました。結局今何も覚えていません。
✅ きのうたくさん勉強しました。しかし今何も覚えていません。
This example shows 逆接・反対, so「しかし」is more suitable.
❌ 一生懸命がんばりました。結局、合格しました。
✅ 一生懸命がんばりました。その結果、合格しました。
❌ 免疫を付ける予防接種をしました。結局、ある伝染病がなくなりました。
✅ 免疫を付ける予防接種を(実践)しました。その結果、ある伝染病がなくなりました。
❌ 他人の助言を無視した。結局ひどい目に遭った。
✅ 他人の助言を無視した。そのためにひどい目に遭った。
「結局」is not used to show cause-and-effect as in this example or in the section above, nor is it used in a simple passage of time, as in the example when「最後に」was more appropriate. Learners seem to think that the meaning of「結局」covers a wide scope.
⭐ 何度も頑張った。結局受かった。
✅ 何度も頑張った。そして、ついに受かった。
If you are simply stating change or progress such as in this example, then that by itself is not a mistake. However,「結局」is used often when many things happen and take place, and then a negative result happens. In this example, however, it's a positive result, so「ついに(+肯定)」is appropriate.
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ぜひ代表的な名勝古跡を見に中国へ来てください。私は将来きっと中国と世界を旅行します。結局、中国は広くて、美しいですから、時間とお金があれば、ぜひ中国に来てください。
✅ ぜひ代表的な名勝古跡を見に中国へ来てください。私は将来きっと中国と世界を旅行します。何と言っても、中国は広くて、美しいですから、時間とお金があれば、ぜひ中国に来てください。
In this example, the speaker wanted to assert a strong correction of what he previously said, so「何と言っても」is necessary. Keep in mind that「結局」is used when many things happen before the result or to express a conclusion to the situation previously stated. Also, be careful when using「何と言っても」, as in this example can also have the somewhat arrogant meaning of 「みんさんが何と言おうと中国は素晴らしいんだから」.
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また、子供にたばこの悪い点について教えておいたら、たばこのコマーシャルを見ても大丈夫だろうと思う。結局、レストランや電車など公共の場所では、大体禁煙室があるため、規則を作る必要はないと言えるだろう。
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また、子供にたばこの悪い点について教えておいたら、たばこのコマーシャルを見ても大丈夫だろうと思う。一方、レストランや電車など公共の場所では、大体禁煙室があるため、規則を作る必要はないと言えるだろう。
This example doesn't show a result or conclusion. Rather, both sentences express「喫煙の害を防ぐ対策」, so either「一方」or「また」, both(並列表現), are appropriate.
❌ おいしい料理を作ろうと、いろいろ材料を買った。結局時間がなかったからやめました。
✅ おいしい料理を作ろうと、いろいろ材料を買った。でも時間がなかったから,結局やめました。
When using「結局」to express a conclusion, for clarity it is best to use「結局」directly before the conclusion. In the second sentence, the first clause「時間がなかったから」has not happened yet. Having before the clause sounds somewhat strange. It sounds better after.
❌ 先生と相談した。結局、コースをやめることにした。
✅ 先生と相談した。それで、結局、コースをやめることにした。
❌ 彼は、会社に入ったばかりのころから、会社がいやだった。結局、会社をやめた。
✅ 彼は、会社に入ったばかりのころから、会社がいやだった。だから、結局、会社をやめた。
❌ おいしい料理を作ろうと、いろいろ材料を買った。結局時間がなかったからやめました。
✅ おいしい料理を作ろうと、いろいろ材料を買った。でも時間がなかったから,結局やめました。
same as a previous example above
Before using「結局」, check what type the previous sentence does:
結末に至った理由を表す:「だから、それで、そのため」や
結末に至った事態の推移を表す:「そして」
反対の結末になったことを表す逆接:「でも、しかし」など
Remember that「結局」is not used for cause-and-effect. If using a sentence that includes「結局」and has a clause that is related to cause-and-effect, then「それで」「だから」「でも」is necessary in order to express cause-and-effect. Learners seem to think that「結局」has this as in included meaning, but other words must be used.
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私は子供のころ、父に授業のときはかならずノートを取るようにとよく言われた。なぜなら、授業内容を全部覚えても、いつか忘れてしまうかもしれないが、書いたものは再び読むと思い出せる。結局、人間の頭は忘れやすい。
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私は子供のころ、父に授業のときはかならずノートを取るようにとよく言われた。なぜなら、授業内容を全部覚えても、いつか忘れてしまうかもしれないが、書いたものは再び読むと思い出せる。結局、人間の頭は忘れやすいということなのだろう。
In the case of a subjective conclusion, 「ということだ」 is a necessary expression used in order to summarize.
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結局に言うと、私が以上述べたように、たばこの問題を解決するもっと新しい方法を探して、試してみたらよいのではないだろうか。
✅ 結局/結論としては、私が以上述べたように、たばこの問題を解決するもっと新しい方法を探して、試してみたらよいのではないだろうか。
Instead of adding on「に言うと」to say in English something along the lines of "in conclusion," it's best to not use anything. 「結局」already has the same meaning as「結論としては」, so either is fine but are necessary to express the same meaning.
「結局」is a somewhat spoken word, which has various uses, typically used for negative results/conclusions. Therefore, you can express your own emotions or anything subjective when using「結局」. It is not used with words such as「合格した」「わかるようになった」, although many learners tend to use it with positive results such as these.